検証済:(2)資料:「 やまと新聞 VS 国立国会図書館 & wikipedia 」
(嘘)≪
HISTORY OF YAMATO PRESS SINCE
1886.「明治19年創刊 やまと新聞」≫
(正)≪
HISTORY OF YAMATO PRESS SINCE
1932.「昭和07年創刊 やまと新聞」≫

破綻済:
(3)鑑賞:「やまと新聞とねず(きち) の ウソと不思議、そして破綻。」
(絵空事)“GHQの命令⇒国会議事堂内だけで活動⇒戦後63年目の解放”ストーリー。

判明済:(4)血脈:「児玉誉士夫 と やまと新聞」(児玉系右翼の機関紙だった?)
(怖面商売)児玉誉士夫に忠実な行動右翼「青年思想研究会の機関紙だった新聞」。

**********
(3)鑑賞 の記述。2012年10月14日)

それ以前に、調子に乗って“創作してきた社史”はまとめようがないようです。
「やまと新聞」に改称してから43年、ねず(きち)が大宣伝を打ってから2年が経ちます。
にも拘らず、今だに、やまと新聞の会社概要は「準備中」のまま、wikipediaのやまと新聞社は「作成中」のままです。
「会社概要」
http://www.yamatopress.com/info.php?id=4 
wikipedia「やまと新聞社」
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%84%E3%81%BE%E3%81%A8%E6%96%B0%E8%81%9E%E7%A4%BE&action=edit&redlink=1
いつまで経っても、これらの正式な社史が書かれることは、金輪際ありません。
「やまと新聞の歴史」、この誤魔化しながらの嘘で固めた社史風の記述が精一杯でしょう。
明治創刊も、対GHQ武勇伝も、国会内幽閉も、安倍・森の許可も、みな作り話だからです。
=====

やっと書かれた・・・wikipediaに、
れらに関する記述は全く見当たりません。

=====
wikipedia「やまと新聞社」 (2012年12月15日初稿)
   この記事には複数の問題があります。
   ・
一次情報源または主題と関係の深い情報源のみに頼って書かれています。
   ・
信頼性問題があるかもしれない資料に基づいており、精度に欠けるかもしれません。
   ・
特筆性の基準を満たしていないおそれがあります。
『やまと新聞社』(やまとしんぶんしゃ)は、1932年8月に創刊された『
帝都日日新聞』が『やまと新聞に改名し、その後、1944年に新聞社の統廃合や空襲などの影響により休刊したものを、1958年7月に復刊させたもの。元々は、『やまと新聞だったが、1969年7月1日に『やまと新聞社』に改名した。独自に「国会両院記者会」を形成する。
「日本人による日本人のための新聞社・・・国会内にあって唯一の保守本流新聞・・・保守本流のマスメディアを目指している。
戦前のやまと新聞は、・・・メジャーな日刊紙であったが、休刊後は、厳しい経営状況となっている。
(最終更新 2012年12月31日)
=====1月20日、修正・加筆。(※1)記事末尾

投稿者はどういう意図で、このような異常に短く中途半端な記述をしたのでしょうか?
しかも、肝心な前半部分の出典は不明で、嘘を織りまぜ矛盾した内容になっています。
「複数の問題」が指摘されて当然です。

『やまと新聞社』(やまとしんぶんしゃ)は、1932年8月に創刊された
帝都日日新聞』が『やまと新聞』に改名し、その後、1944年に新聞社の統廃合や空襲などの影響により休刊したものを、1958年7月に復刊させたもの。
元々は、『
やまと新聞
』だったが、1969年7月1日に『やまと新聞社』に改名した。

「帝都日日新聞」から「やまと新聞」への改名は、戦前ではなく戦後です。(1969年)
その「やまと新聞」を発行しているのが、「やまと新聞社」です。
「やまと新聞」から「やまと新聞社」に改名したというのは、大嘘です。
文中の
やまと新聞」をクリックすると、なぜ「明治創刊のやまと新聞のwikipedia」に飛ぶのでしょうか?!
創刊は1932年(昭和7年)だと、最初にハッキリと書かれています。

以下は、復習です。

wikipedia
やまと新聞
この項目では、
東京スポーツの前身の新聞紙について記述しています。
「帝都日日新聞」の後継である現行新聞については「
やまと新聞社」をご覧ください。

1944年(昭和19年)に、明治創刊の「やまと新聞」も「帝都日日新聞」も、共に終(休)刊になっています。

☆リサーチ・ナビ(国立国会図書館)
新聞紙名変遷情報
タイトル:
やまと新聞
明37.12.10「やまと新聞」(5704号)昭19.4終刊
・タイトル: 帝都日日新聞
昭7.8「帝都日日新聞」創刊昭19.4休刊

1958年(昭和33年)に、「新夕刊」と「やまと新聞」が合併して「国民タイムス」が後継紙となっています。
これによって、使われなくなった“伝統ある新聞紙名”を拝借したのが実際です。
1969年(昭和44年)に、「帝都日日新聞」から「やまと新聞 」に紙名が改名されます

その時に、社名も「やまと新聞社」に改名したのです。

・タイトル: 国民タイムズ
昭33.4.16「国民タイムズ」創刊
(「新夕刊」と「やまと新聞」が合併)
・タイトル: 帝都日日新聞
昭和33.7.19復刊44.7.1「やまと新聞」

社 告
あす七月一日、一周年を機にやまと新聞と改称します。
・・・・・
題号を本邦新聞界に輝かしい伝統と足跡をもつ
「やまと新聞」(日出国新聞)と改称、
また新聞社名も「株式会社やまと新聞社」に変更します。
・・・・・
昭和四十四年六月
株式会社 帝都日日新聞
取締役相談役 児玉誉士夫
代表取締役社長 吉田裕彦

参照:
(2)資料:「 やまと新聞 VS 国立国会図書館 & wikipedia 」
(4)血脈:「児玉誉士夫 と やまと新聞」

独自に「国会両院記者会」を形成する。

クリックしてみると、また「作成中」です。
検索しても、その存在を裏付ける客観的資料は出てきません。
(7)蛇足:「“ 国会両院記者会 ” なんて、やまと新聞しか言ってないぞ。」参照。

・・・
保守本流のマスメディアを目指している。

目指すのは勝手です。
が、“噓の社史で読者を騙し会員を募る”手法は、それだけで、保守
新聞失格です。

戦前のやまと新聞は、・・・メジャーな日刊紙であったが、休刊後は、厳しい経営状況となっている。

「戦前のやまと新聞」は、明治創刊の新聞です。
それが「メジャーな日刊紙」だろうが「経営状況」がどうだろうが、現在の「やまと新聞社」には関係のない話です。
同様に、記事の中の「
やまと新聞」をクリックすると、関係のない「明治創刊のやまと新聞のwiki」に飛ぶのも、印象操作を狙った姑息な手法です。

以上、
「インチキな社史をアップするとやぶ蛇になる。」
「誤魔化しながらの嘘で固めた社史風の記述が精一杯でしょう。」
という指摘の通りになっています。
読者が騙され勘違するのを狙っていますが、内容が粗雑過ぎて失笑ものです。

(付録)~~~
〇「肝心な前半部分」の添削例。

『やまと新聞社』は、1932年8月に創刊された『帝都日日新聞
』が『やまと新聞に改名し、その後、1944年に新聞社の統廃合や空襲などの影響により休刊したものを、1958年7月に復刊させたもの。
元々は、『やまと新聞
』だったが、1969年7月1日に『やまと新聞社』に改名した。(※2)

『やまと新聞社』は、1932年8月に創刊された『帝都日日新聞
』が1969年7月1日に紙名を『やまと新聞
』に改名し、その時に、社名も『やまと新聞社』と改名したもの。
帝都日日新聞』は、1944年4月に新聞統制や空襲などの影響により休刊したが、1958年7月に復刊していた。

(※2)
“ネタ元”と比較。・・・嘘の織り込み方が、おもしろい。
1932年8月に創刊された『
帝都日日新聞は、1944年4月に空襲などの影響により休刊し、1958年7月に復刊。1969年7月1日に『やまと新聞
』に改名した。
wikiやまと新聞「もう一つの“やまと新聞”」 / 3.三里眼さんのコメ参照。
~~~
〇これも、メチャクチャな内容。
「大晦日のインチキwiki投稿者」の新年早々の作品?
wikipedia「吉田彦太郎」
福地源一郎が「帝都日日新聞」として明治19年秋に創刊
やまと新聞は、その後、やまと新聞社や東京スポーツの前身と言われている
最終更新 2013年1月2日
(30.窮鼠の泥縄、自網自縛。さんのコメ参照。)
(注:この記述は削除されました。最終更新 2月6日)

いろいろな嘘をまき散らして、「いろいろな説がある」という作戦かも知れません。

=====
(※1)1月20日、修正・加筆。
☆☆☆投稿者に敬意!!(出典もしっかりと明示。)

wikipedia「やまと新聞社
(抜粋)
この項目では、1969年に「帝都日日新聞」から改題された『やまと新聞』およびその発行会社について記述しています。
1886年から1944年にかけて発行された『やまと新聞』については「
やまと新聞」をご覧ください。

        やまと新聞
事業者 株式会社やまと新聞社
創刊     1932年8月(1958年7月19日復刊)
前身     帝都日日新聞

株式会社やまと新聞社
は、・・・1969年(昭和44年)7月より、『やまと新聞』を発行している。
元は1932年(昭和7年)8月に創刊された『帝都日日新聞』。
1944年(昭和19年)4月の休刊を経て、1958年(昭和33年)7月19日に復刊。1969年7月1日より『やまと新聞』に改題された。
(注:2月3日以降、さらに詳細な加筆。)
=====
さて、彼らは、どうするんでしょうか?
(3)鑑賞:「やまと新聞とねず(きち) の ウソと不思議、そして破綻。」の彼ら。