検証済:(2)資料:「 やまと新聞 VS 国立国会図書館 & wikipedia 」
(嘘)≪
HISTORY OF YAMATO PRESS SINCE
1886.「明治19年創刊 やまと新聞」≫
(正)≪
HISTORY OF YAMATO PRESS SINCE
1932.「昭和07年創刊 やまと新聞」≫

=====
正しい歴史・・・を報道し伝えていくことを目的に”(やまと新聞)
報道は、自らの見識のもとに、是非善悪を、高い次元、 高い道義をもって判断し、
・・・
それがジャーナリズムの基本でもあります。(ねず)

拍手。

さて、
“創刊の大嘘”は、前記事で立証済。
ここでは、彼らの物語る内容のいい加減さ、大嘘のための“小ウソ”を見ていきます。
(※は引用、文末)

(やまと新聞)
 
やまと新聞社は・・・皆さんご存知のサザエさんを連載していました。(※A)
明治19年(1886年)創刊以来国会内において保守報道を貫いて参りました。(※B)
(ねず)
福地源一郎が、明治17年に、創刊したのが、≪ やまと新聞≫です。※C)

第1のウソ:「サザエさん」を連載していたのは
、現やまと新聞の前身の帝都日日新聞ではありません。
『夕刊フクニチ』『新夕刊』『夕刊朝日新聞』等で順次連載。(※1


第2のウソ:明治のやまと新聞ですが、創刊当初は保守系新聞ではありません。
「庶民向けの娯楽趣味の宣伝に努めたいわゆる小新聞であり、花柳界や芸能界の記事、続き読み物、ゴシップ記事などが中心的な記事であった。」(※2)

第3のウソ:
明治憲法(明治22年)に基づて第1回帝国議会が召集されたのが明治23年で、国会議事堂が竣工したのも明治23年ですが、
それ以前に、「明治19年以来国会内において保守報道」ですか?どうやって?
「帝国議会・・・明治23年11月29日の第1回議会」
(※3)
「第一次仮議事堂は、・・・明治23年11月24日に竣工した。」(※4)
(23年11月24日国会議事堂竣工、25日第1回帝国議会召集、29日帝国議会開院式。)

第4のウソ:
福地源一郎は、創刊者では、ありません。
条野採菊は「明治17年、西田伝助と・・・『警察新報』紙を発刊したが、部数が伸びなかったので、代わりに明治19年10月、娯楽主体の『やまと新聞』を創刊」(※5)
「明治21年、福地は条野採菊のやまと新聞の顧問に迎えられ」(※6)

(やまと新聞)
当時、やまと新聞は日刊で「帝都日日新聞」という名称で、・・・その(GHQの)焚書により活動を停止せざるを得ませんでした。(※A)
終戦後のやまと新聞はほんの数名の社員が記事を作り国会内で手配りするのがやっとの状況でした(編集部、(4)血脈)
(ねず)
≪やまと新聞社≫は、ジャーナリストとして、 GHQの政策に対し、これを敢然と拒否した。
もし、言うことを聞かず、 あくまで新聞社として独自に国会内での取材をし、 自らの価値観に則って記事を書くというなら、
一般民間人への報道はいっさい許可しない。
取材は国会議事堂内だけにせよ。
新聞紙の発行も、国会議事堂内だけに限定せよ。
それがGHQの命令です。
(※C)

第5のウソ:GHQの焚書は書物が没収対象で、新聞はプレスコードによる検閲です。

第1の不思議:
GHQに敢然と抵抗する新聞社を、発禁ではなく、よりによって「国会議事堂」に閉じ込めた・・・GHQの気が知れない。

(やまと新聞)
やまと新聞もようやく平成21年になって、 ・・・外部への取材、 新聞の配布などを始めました。(※A)
(ねず)
平成20年になって、そんな≪やまと新聞社≫ の窮状を見かねた安倍元総理と、森喜朗先生が、いくらなんでも、 もうそろそろGHQの課した制約から≪やまと新聞≫ を解放してもよいでしょうと、≪やまと新聞社≫が、 国会外で活動することを許可してくれた。
なんと戦後63年目にして、やっと≪ やまと新聞≫は、 国会議事堂の外での営業活動ができるようになったのです。
GHQは、昭和27年には、解散しています。
しかし日本人は約束事を守る国民です。
どんなに苦しくても、どんなにつらくても、あきらめず、粘り強く、ルールを守って戦い抜く。
これが日本です。(※C)

ねずきち節炸裂です。(笑

第6のウソ:GHQが去ってから56年間も、「GHQの課した制約」に縛られていた?!
説明不要。

第2の不思議:安倍・森両氏が、どうしてそのような「許可」を出せるんでしょうか?

第3の不思議:
失効したGHQの命令を、約束事だと56年間も守り続けてきた・・・。
やまと新聞社の皆さんは、「命令」と「約束」の意味の違いも解らない、その程度の国語能力しか無いのでしょうか?

ここで、
前記事の
『明治19年創刊』の大看板 が大嘘だったことの立証に続き、
GHQの命令⇒国会内だけで活動⇒戦後63年目の解放』 ストーリー も破綻です。

(コメント情報から
第7のウソは大嘘
国会議事堂内だけで活動してきた。は大嘘!!
嶋中事件(風流夢譚事件) 昭和36年
右翼系の日刊紙『帝都日々新聞』
が中央公論社を非難し、(※7)
一九六一年一月三○日には帝都日日新聞社が『赤色革命から国民を守る国民大会』
を日比谷公会堂で開き
代表三○人が中央公論社に
(※8)
帝都日日新聞の主催で日比谷公会堂で千三百名を集めております。
一月三十一日に国民大会の状況を報道した帝都日日新聞
・・・(志賀(義)委員)
(※9)
つまり、
戦後、普通に日刊紙を発行し、国民大会まで主催していた右翼新聞社です。
「第三種郵便物」(4)血脈の補足。

(鈴木邦男談ほか
第8のウソも大嘘
「やまと新聞」に改称してからも、日刊の右翼新聞として活動!!
重信末夫(房子の父)さんに取材した『やまと新聞』・・・昭和49年3月15日付だ
友人が『やまと新聞』にいたので、よく書かせてもらった。
1974年の東アジア反日武装戦線〈狼〉の連続企業爆破事件について『やまと新聞』に連載した。
それが三一書房の社長の目にとまり、本を出すことになった。『腹腹時計と〈狼〉』だ。それが僕のデビュー作だ。
『やまと新聞』は右派系の日刊紙だ。
・・・そこでは随分と書かせてもらい、生活も助かった。
(※10)
はじめてインタビューしたのは、まだ産経新聞の社員だった鈴木邦男である。
民族派の『やまと新聞』紙上に掲載されたインタビューで、
(※11)
ここは・・・実質的な 児玉系右翼 青年思想研究会の機関誌だったところです
(※12)
児玉系(4)血脈:「児玉誉士夫とやまと新聞」で詳述。)
(7)蛇足の文末「補足」を参照。

改めて、上の
やまと新聞とねずの発言(下線部)を読み返してみて下さい。

さらには、この言い草です。
(ねず)
ウィキペディアを見ると、やまと新聞というのは、いまの東京スポーツ新聞であると書いてある。日本の伝統的保守新聞に対し、こういう記述をして、これを貶めようとする。
ひどい話です。
(※C)
ねずきちくんのねずきち的こころ参照。)

「ひどいウソ話」は、あなたたちの方。
「根拠となる資料」を提示して反論しないのは、なぜかな?

それ以前に、
調子に乗って“創作してきた社史”はまとめようがないようです。
「やまと新聞」に改称してから43年、ねず(きち)が大宣伝を打ってから2年が経ちます。
にも拘らず、
今だに、やまと新聞の会社概要は「準備中」のまま、wikipediaのやまと新聞社は「作成中」のままです。

「会社概要」
http://www.yamatopress.com/info.php?id=4
wikipedia「やまと新聞社」
(2012年12月15日初稿~)
(※)
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%84%E3%81%BE%E3%81%A8%E6%96%B0%E8%81%9E%E7%A4%BE&action=edit&redlink=1

いつまで経っても、これらの
正式な社史が書かれることは、金輪際ありません。
(※A)「やまと新聞の歴史」、この誤魔化しながらの嘘で固めた社史風の記述が精一杯でしょう。
明治創刊も、対GHQ武勇伝も、国会内幽閉も、安倍・森の許可も、みな作り話だからです。

「インチキな社史をアップするとやぶ蛇になる。
会社案内を作らない理由は、やまと新聞が外部から歴史をチェックされると困るから
ではないか?」
(busayo_dicさん)

そういうことです。
(※)
(6)藪蛇:「やっと書かれた・・・wikipedia 『やまと新聞社』」へ続く。

《引用・参考》
(※A)「やまと新聞の歴史」
http://www.yamatopress.com/history/
(※B)「会員募集のお知らせ」
http://www.yamatopress.com/pg104.html

「ねずブロ
(※C)【拡散希望】やまと新聞を守れ!」
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-850.html
【拡散希望】やまと新聞応援キャンペーン」
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-953.html
【拡散希望】やまと新聞を生かそう!」
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-977.html

(※1)wiki「サザエさん」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%B6%E3%82%A8%E3%81%95%E3%82%93
(※2)wiki「やまと新聞」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%84%E3%81%BE%E3%81%A8%E6%96%B0%E8%81%9E
(※3)wiki「帝国議会」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E8%AD%B0%E4%BC%9A
(※4)wiki「国会議事堂」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E4%BC%9A%E8%AD%B0%E4%BA%8B%E5%A0%82
(※5)
wiki「条野採菊」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%A1%E9%87%8E%E6%8E%A1%E8%8F%8A
(※6)
wiki「福地源一郎」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E5%9C%B0%E6%BA%90%E4%B8%80%E9%83%8E

(※7)
wiki「嶋中事件」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B6%8B%E4%B8%AD%E4%BA%8B%E4%BB%B6

(※8)
「嶋中事件」
http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/just-shimanaka-jiken.htm
(※9)
「第38回国会・・・審査会」

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/038/0336/03802080336002a.html

「赤色革命から国民を守る国民大会 帝都日日新聞」
http://megalodon.jp/2012-0906-1640-42/app.f.m-cocolog.jp/t/typecast/1544659/1556656/71775406
(※10)
「鈴木邦男の愛国問答」
http://www.magazine9.jp/kunio/120307/
(※11)
「極鬼舎 重信房子」
http://bonbay.blog.shinobi.jp/Entry/25/
(※12)
「児玉誉士夫とは何者であったか」
http://plaza.rakuten.co.jp/junksai/diary/201008250000/